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田中康夫長野県知事御一行を迎えて

前第一アリアンサ文化体育協会会長 田中嗣郎

 この村に住むすべての人々にとって、入植八十年を祝うと云うことは、またとない喜ばしいことであると共に、過ぎ去った年月の間にあった嬉しいことや悲しいことを改めて偲ぶことでもありました。

 長野県人、永田稠氏によって計画、創設された第一アリアンサ移住地にとって、その入植八十周年記念式典に、母県長野県より田中康夫知事、県議会議長・古田芙士氏、国際課長・合毅康典氏、長野県町村会副会長・川上村村長・藤原忠彦氏、知事秘書・倉島靖幸氏、県議会議長秘書・内山光永氏、町村会総務係長・原山幸治氏、ソプラノ歌手・桑原いずみさん、信濃毎日新聞取材班・宮坂重幸氏、と云った方々のご臨席を得て、これを華々しく祝うことができましたことは、村民一同の胸に嘗てない出来事として、喜びと共に長く残ることと信じます。

 過去の祝典に於いては、副知事、県会議長、出納長等々の御来村を得て、当時まだ健在だった多くの開拓者達が喜びを持って迎えたことはありました。しかし、知事の来訪は今回が初めてであります。そして田中知事はここで、今では数少ない一世と第一線で活躍している二世三世とその後継者の四世達と親しく言葉を交わされました。
 知事は、日本語学校維持に県から資金援助をされているにも拘わらず、村における日本語能力の衰退をご覧になって、言語の継承というものがどんなに困難であるかと云うことを強く感じられたようでした。不幸にして日系社会の現状は、日常、家庭の中ではどうしてもポルトガル語が主になってしまい、日本語が使われにくいという事情があります。その上、日本語学校では生徒が勉強する時間が少ないと云うこともあって、日本語は自然に使われなくなってしまいます。
 田中知事は短い滞在期間に、移住地で正規の教師を雇用して日本語や日本文化を教えることの難しさを痛感されたようでした。そして、大変興味あることを云われました。それは、日本語および日本文化の教育を、ここに住んでいる非日系人にまで範囲を広げてはどうかと云うことでした。
 県にお帰りになった知事が、我々の祖先が残してくれた言語や文化を、第一アリアンサに住む日系人のみではなく、非日系人も含めたすべての人に教えてくれる教師を派遣することに努力して下さるに違いないと信じます。

 お会いしたのはわずかな時間ではありましたが、田中知事は、新しい型の政治家のように思われました。現在、県が抱えている経済、社会の諸問題を解決され、将来に明るい灯を点され、そして、長野県民と、ここに住む移住者とその子孫の間に強い絆を作って下さることと信じるものです。


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