homeHome
移住史ライブラリIndex | 移住年表 | 移住地図 | 参考資料

絵本「はまの大きな大きな樹」出版記念で来日
 母の故郷をたずねて

弓場勝重さん来訪 ユバ農場の弓場勝重さんが自作の絵本「はまの大きな大きな樹」出版記念会出席と、母はまの生まれ故郷を訪ねるために来日されました。勝重さんは農場創設者弓場勇の五女です。一九九三年出版の絵本「やまのおはなし」はブラジル日系人の絵本作品として高い評価を受けています。
 「はまの大きな大きな樹」は勝重さんの母、弓場はまの生き方を描いた作品です。
 弓場はま(一九一一〜一九八六)の父今井新重は長野県松本女子師範付属学校の主事で、ブラジル移住の熱心な活動家でした。一九二〇年一月、ブラジル視察旅行に出発する直前、スペイン風邪で夫婦とも急死。はまは八歳で孤児となります。はまは十四歳の時、一九二六年に日本力行会の永田稠会長をたずね、「父の行きたかったブラジルへ移住したい」と訴えます。そして東京練馬にあった力行農園で研修を受け、一九二七年、アリアンサへ赴任する勝田医師の養女としてブラジルへ移住しました。このとき、新宿中村屋の四男相馬文雄も一七歳で一緒に移住したそうです。
 当時のアリアンサは青年たちの村でもあり、アリアンサ野球チームはブラジル随一の強豪チームとして知られていました。アリアンサには新渡戸稲造の甥太田秀俊や大正デモクラシーの思想家吉野作造の姪吉野知子なども移住しており、やがて野球チームの合宿から青年たちの村づくり運動が始まります。
 はまは十九歳の時弓場勇と結婚、一九三五年に夫と共に弓場農場創設に参加します。農場創設者七人のうちには太田秀俊もいました。はまはその生涯を農場員の世話役として尽くしました。

写真:弓場勝重さん来訪、二〇〇七年六月二日  ありあんさ史研究会東京事務局(NPO現代座)にて

 母にみちびかれた旅


back home