心の中に「さんねん峠」 作家 李錦玉
五十数年前。「さんねん峠」を話してくれた、おじいさんがわが家を訪れると、
私はとても緊張しました。目上の人や老人には、敬語できちんと、挨拶をしなけ
ればならなかったからです。
「お早うございます。朝食は召し上がりましたか」というふうに、うまくすらす
ら言えた時の嬉しさ。私の頭を撫でて、私以上に喜んでくれたおじいさんを思い
出します。
このように私の両親は、日常生活をとおして、おてんばな女の子にとっては、
窮屈に思える民族的な礼儀作法や、目上を尊敬し隣近所の人たちと仲よくしなけ
ればいけないなど、日常生活の基本となることを忍耐づよく、子供たちに躾けま
した。
私の両親は、多くの在日同胞がそうであったように、喜んで祖国を後に日本へ
渡ってきたのではないでしょう。日本で生まれ育っていくわが子に、民族のアイ
デンティティを持たせることは、親として切実な問題であったと思います。私は
このような両親のもと、日本の子供との交流の波の中で、幼い目で自分とまわり
の人びとを見つめていました。
もうひとつ、五十数年前のことを。私の育った街を流れる三滝川は、伊勢湾に
そそいでいます。川には三滝橋がかかり、街から橋にいたる舗装道路は、やや急
坂でした。
夏のある日。重い荷車をひいてきた馬が、坂の途中で倒れました。多分、日射
病だったのでしょう。馬は全身に汗をしたたらせながら、何度も必死に起き上が
ろうとするのですが、そのたびにどうっと倒れては横腹を大きく波うたせ、口か
ら白い泡をふきました。馬方は焦りに焦り、馬に激しく鞭をあてたり、乱暴に手
綱をひいて起ちあがらせようとするのですが、馬はいうことをききません。
もがく馬の足、荒い息、力ない馬の目。私の胸はしめつけられました。涙があふ
れました。「馬が死んじゃう。死んじゃだめ!だめ!」私はこぶしを握りしめて
、心の中で叫んでいました。私はこの光景が、悲しみ、苦しみ、痛みを伴ったあ
の過酷な時代と重なって、今も思い出すことがあります。
「さんねん峠」を日本語で再現する、長いゆっくりした時間の中には、私の子供
のころの情景が交錯し、おじいさんから聞いたさんねん峠の世界がひろがってい
きました。「さんねん峠」が完成し、登場人物を眺めてみて驚きました。なんと
、子供のころ、私のまわりにいた人びとではありませんか。おじいさんは、私に
お話を聞かせてくれたあのおじいさん。たまに家にきては、両親に親しく迎えら
れ、食事も一緒にしたことがあります。おばあさんは、隣町にいました。いつも
真っ白なチマ・チョゴリを着て、分け目すずしく、きりりと髪を後ろに結ってい
した。
トルトリは、私と同い年のけんか友達、ハス。成績のよい弟・イスを中学にあ
げるため、進学をあきらめました。トルトリは、利口なしっかり者という意味で
すが、ハスは文字どおり、そんな男の子でした。
この物語の中には、苦しい逆境を逆手にとって、いつの時代をも見事に切り抜
けてきた、機智にとんだ民族の楽天的でおおらかな姿が息ずいています。この話
がいつの時代どの地方で生まれたのか、分かりませんが、朝鮮半島の北にも南に
も同じ話があります。
「さんねん峠」が教科書にのってから、たくさん子供たちから手紙をもらいまし
た。その中に、〈さんねん峠〉は、本当にあるか、という質問がありましたが、
私は、子供たちに満足のゆく答えができずにいます。
民謡「アリラン」は、朝鮮半島の各地に八十余もあるといわれ、それぞれ特色
がありますが、どの歌詞にも「アリラン峠」が見られます。アリラン峠は、歌の
数だけそれぞれの地方にあるのでしょうか。あるいは、うたう人の心の中に、峠
はあるのでしょうか。峠とはなんなのだろうか、と考える時があります。
私は〈さんねん峠〉は、どこどこにあるのだろうかと、楽しい想像をめぐらせ
います。子供たちは、〈さんねん峠〉が実在するのなら、ぜひ行ってみたいと、
イメージをふくらませていますが、私も行ってみたいと思います。
「さんねん峠」が絵本になったとき、お母さんと子供が一緒に読んでいただける
ことが、とても嬉しく思いました。ところが、教育の場で子供たちが楽しく、ト
ルトリやおじいさんと一喜一憂するとは、思ってもみませんでした。
『さんねん峠』をとおして、子供たちの心にともった隣国への親しみの灯が、い
っそう明るくともることを願っています。
光村図書 小学校国語教育相談室NO.3 特集、『さんねん峠』より抜粋