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耕 す

14歳になると一人前の若者として農場部で働くようになる。自分たちで育てた大豆の豊作を喜ぶ若者たち。 椎茸の植菌作業。椎茸も重要な生産物。椎茸部にも子どもたちは当番で手伝う。

 三年ぶりにヤマを訪れてみて変わったなと思うのは、ずいぶん青年が増えてあちこちで若い叫び声がとびかっていることだ。三年前までは中学生高校生だった子どもたちが、今では大人と一緒に働いている。
 ヤマには現在200ヘクタールの農地がある。この程度の畑は、ブラジルではちょっとした個人農家の畑の広さにすぎないが、ここでは意識的に日本伝統の集約的な農法を採用している。
 生産物は一年中採れるゴヤバという南国特有の果物が中心だが、そのほか椎茸の栽培、時期によってマンガ(マンゴー)やカボチャも出荷する。自給用に陸稲、大豆、トマト、野菜を作っているし、牛、豚、鶏も飼育している。
 コジンニャ(食堂部)では自給用にみそ、納豆、豆腐、ジャム、コーヒーを作っているが、最近はサンパウロやアリアンサ近郊から頼まれて分譲もしている。
 三年前にはアメリカに研修に行っていたイサム(24歳)やダイゴ(19歳)、ウミ(19歳)なども帰ってきて、元気な姿を見せていた。以前は高校を出ると、サンパウロやアメリカへ出て働く子が多かったが、昨年からは若者たちも含めた生産計画や経営改善の会議が開かれるようになり、子どもたちがヤマの経営に関心を持ち出したのだという。
 うらやましいと思うのは、ヤマの子どもたちがまったく労働をいとわないことだ。小学生の日常は学校から帰ると、農場内に開設されている日本語学校、楽器やバレエの練習などが基本だが、土曜日は学校が休みなので当番を決めて農場部や食堂部などの仕事を手伝う。豚や鶏の屠殺や解体があるときはまるでお祭り騒ぎで、子どもたちはわれがちに手伝おうとする。こうした風景は決してブラジル農家の習慣ではなく、ユバ農場創設以来の独特の伝統だという。

農場の構成

 ヤマの人口構成は2003年11月現在、26家族70人。その他旅行者など一時滞在者を含めると常時70数人が農場で暮らしている。年代構成は次のようになる。

高齢者(70歳〜99歳)11人16%
中壮年(30代〜60代)31人44%
青年層(10代後半から20代)17人26%
中学生以下の子ども10人14%
その他旅行者など一時滞在者5人 

 直接生産活動に携わっているのは中壮年、青年を合わせて70%だから、農場は今は一番生産力の高い時期かもしれない。問題は二十代の出稼ぎ者が多く、現在農場には三人しか残っていない。農場では早く活動のシステムを安定させ、出稼ぎに行っている若者たちを呼び戻したいし、十代の若者にも仕事を継承してほしいと願っている。
 進学は子どもの希望を尊重するようにしているが、ここ数年はユバの支持者でもあるニシムラ農学校への進学が定着しつつある。ニシムラ農学校でいい成績をおさめるとアメリカへの農業研修に派遣される。すでにアメリカ農業研修経験者は三人、現在も高山潤平がアメリカへ研修に出かけている。

ヤマの子どもたちは生活に必要なことを一通り学ぶ。女の子たちは鶏の解体、男の子は豚の解体を手伝う。 朝のカフェが終わるとコジンニャ(生活部)の女性たちは献立、育児、高齢者介護、夜のレッスンなどの打ち合わせ。楽しいおしゃべりの時間でもある。

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