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宿願の日本語教師招請実現
新津さん長野県へお礼の旅

新津英三さん、2005年9月15日ありあんさ史研究会東京事務局(NPO現代座)にて 第一アリアンサ移住地長年の宿願であった日本語教師招請が本年(2005年)五月、長野県から派遣された森脇雅子さんの赴任によってついに実現しました。
 昭和六年に長野県木島平村から第一アリアンサ移住地へ入植した新津英三(にいつ・えいぞう)さんは一九九〇年代に全アリアンサ文化協会会長として村の相談役をされてきた方です。新津さんは一九八〇年代から再三にわたって長野県に日本語教師の招請を請願してきました。いったんは長野県議会の議題に上るところまでこぎ着けたのですが、残念ながら実現できませんでした。こうした経過があるだけに、一九九七年に山川出版社の「長野県の歴史」でアリアンサ移住地は満州移民を推進した信濃海外協会がつくった他民族排除の移住地との評価を受けていることを知り、なんとしてもアリアンサ移住地を再調査してほしいと願ってきました。
 二〇〇四年十一月、第一アリアンサ移住地八十周年記念式典に長野県知事田中康夫氏が出席されると聞いたときは、耳を疑ったと言います。第一アリアンサ移住地は大正十三年に長野県知事を総裁とする信濃海外協会によって開設されながら、長野県知事がブラジルへ来ることがあってもアリアンサを訪れることはありませんでした。最後のお願いをしたいと思ったそうです。
 この九月、新津さんは人生最後の仕事として、長野県へお礼をのべるために来日されました。日本滞在中に九十歳を迎え、「もうこれで思い残すことはありません」とさわやかな笑顔を残してブラジルへ帰って行かれました。


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