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ユバ・バレエ

熊本 早(さき)

熊本 早 一九八五年ユバ生まれ三世。日常は農作業部で果樹栽培に従事しているが、ユバ・バレエ団のキャプテン的存在としてレッスンや公演活動時には先頭に立って活躍している。ユバの児童他、村の子供達の指導も行うようになって、昨年クリスマスに初めて振り付けた作品「おもちゃ箱」はとても好評だった。また、近年始まったサンパウロのプロバレエ団との交流にも意欲を燃やして取り組んでいる。

 ユバのバレエは、土から生まれた芸術という印象を受ける」とある人に言われました。農業をしながら育ったユバの踊り手の一人一人から自然とにじみ出る「土」の匂いこそがユバ・バレエ独特の個性だと改めて思いました。
 そんなユバ・バレエが今年、四十五周年を迎えました。一九六一年、東京で活躍していたバレリーナの小原明子先生「ママ」がユバに来たことを切っ掛けに、それまでは映像の世界でしか知り得ず、見よう見まねで練習していたことが、プロのバレリーナを迎えたことによってレッスンも本格的になり、劇場も建ててしまうほどの大きな出来事に発展したのです。奥地農村の弓場農場に、一つの大きな種が蒔かれた瞬間だったのではないでしょうか。ブラジルの田舎で育ってきたユバの人達と、東京育ちのママとが一緒になって踊り続け、四十五年の間にその種が芽を出し蕾となって、今、大きくしっかりとした「花」を咲かせています。
 私は、ユバで生まれ育って二十一歳を迎えましたが、この素敵な「花」について真剣に考え始めたのは、ここ数年のことです。ユバの子はみな、小さいときからバレエを習います。私もバレエを通してたくさんのことを学ばせて貰いました。
村の子供達を指導するサキ 私は三年ほど前からユバの子どもや村の子ども達にバレエを指導させて貰うようになりましたが、最近やっと、この子ども達との時間を楽しく過ごせるようになってきました。始めは「教えるなんてとんでもない」という意識ばかりで、毎日のレッスンは憂鬱で、苦痛でした。でも、やっているうちに、面白い発見が次々とありました。まず、自分が今まで習ってきたバレエの動きを一つ一つ細かくチェックされ、テストされているような感覚です。普段自分がいかに雑にやっているかということを反省させられます。また、時折やる気のない子を見ると、それを子ども達のせいにしていたのですが、生徒というのは教えているものの鏡なのだと気付きました。特に子どもは、その日の自分の状態をはっきりと確実に映し出してくれるのです。
 こういった様々なことを気付かせて貰っている日々、その中でも一番大きな発見は、これまでの自分が置かれていた環境は大変贅沢だったことです。習うだけ、教えて貰うだけ、何も考えずに、只ひたすら言われるままに動き、わがままや文句は言い放題、教える人の立場や気持ちなんて考えたこともありませんでした。教えてくれる人がいて「当たり前」と思っていた私には、「教える」ことは、教わるためのスイッチになってくれたのです。

 踊りについて語りたいことは山ほどあります。とにかく踊っていると、嬉しかったり悔しかったり、いらついたり痛かったり、作り笑いをしたかと思うと心の底から笑ってみたり、鳥肌が立つような感動や涙がこぼれそうになることなど、ありとあらゆる感情を経験させて貰っています。そして、踊りを通じて広がる人間関係、踊りはまだまだいろんな事を教えてくれそうです。こういう環境を創り上げてくれた弓場さん、それを現在まで守り続けてきたユバの一人一人、そして、踊ることの素晴らしさを教えてくれたママに感謝し、心の底から誇りに思います。

トラクターで農作業に出かけるサキ 創られ、育てられた理想の中で生まれた私たちは、与えられることが当たり前だと思ってしまい、それを大切にする気持ちを忘れてしまっていたようです。ユバ・バレエ四十五周年、この年月の持つ大きな意味を、踊る人、踊らない人を問わず、私たち一人一人がはっきりと自覚し、この歴史に恥じないようにしっかりとした足取りで、芸術し、祈り、土と共に生きるユバの生活を、バレエを通して表現し、日々の中で高めていけるように心がけていこうと思っています。

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